わきまえるについて
2021年02月13日09:27
カテゴリー │施設長より
「わきまえる」
久しぶりにこの言葉を聞いた。
あたりまえに使われていた多くの言葉が
時代と共に使われなくなった中の一つか?
「わきまえる」あまり語感の良い言葉ではない。
遠慮する、控えめにするならまだしも
黙って!余分な事をいうな!口出しするな!
でしゃばるな!となると話は違ってくる。
控えおろうという時代劇の世界となってしまう。
様々な会議・会合に出席するが、
活発な議論がかわされることは少ない。
事務局から提案される報告や案を
ただ座って聞いて終了という会議もある。
会議の意味があるのだろうか?
終了時刻が迫ってくるとあせってもしまう。
まだ、発言するのかという冷ややかな空気を感じることがある。
ここで「わきまえる」ということが出てくる。
けれど、時間通りに終了するのが会議であり、
司会進行の腕が発揮されてくるのではないか。
参加者の発言もなく終了することは会議とはいえない。
会議とは、何かを決めるために、参加者同士が活発に議論することだと思う。
わきまえてというと上から目線なので
会議とはそういうものだとおもって参加している。
久しぶりにこの言葉を聞いた。
あたりまえに使われていた多くの言葉が
時代と共に使われなくなった中の一つか?
「わきまえる」あまり語感の良い言葉ではない。
遠慮する、控えめにするならまだしも
黙って!余分な事をいうな!口出しするな!
でしゃばるな!となると話は違ってくる。
控えおろうという時代劇の世界となってしまう。
様々な会議・会合に出席するが、
活発な議論がかわされることは少ない。
事務局から提案される報告や案を
ただ座って聞いて終了という会議もある。
会議の意味があるのだろうか?
終了時刻が迫ってくるとあせってもしまう。
まだ、発言するのかという冷ややかな空気を感じることがある。
ここで「わきまえる」ということが出てくる。
けれど、時間通りに終了するのが会議であり、
司会進行の腕が発揮されてくるのではないか。
参加者の発言もなく終了することは会議とはいえない。
会議とは、何かを決めるために、参加者同士が活発に議論することだと思う。
わきまえてというと上から目線なので
会議とはそういうものだとおもって参加している。
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